やっと行けた田中一村展
木漏れ日と銀杏の落ち葉が散り敷かれた初冬の道。
街はクリスマスを待ち望んでアドベントに。♬
藁が温かい気分にさせてくれる。
ふと思い出した事なのですが、お茶を習い始めた頃先生は年に2回はお茶事をしてくださり、冬のお茶事は夕方から始まる夜咄でした。京都の比叡山麓のお茶室の12月半ばの夜は冷えこみがきつく、待合にお迎え付けの手炙りには藁灰が敷かれていましたが、当時は習い始めで全く何も分かってなかった私でした。あれから10年経ち少しは分かるようになり、お茶事前の藁灰を用意するのは何と手間暇のかかる大変な事か。初心者の私にも今でも燃えた藁灰の一本一本の美しさが記憶に残っています。当時勿体ない事をした、もっと気付いてきちんと見ておくべきだったと思うのですが、恐らくその時は私には機が熟してなかったと言う事なんだろうなと思う事にしています。なら、何だったら機が熟してたのか?と聞かれてもですが。💦
ミッドタウン六本木のクリスマスデコレーションを見に行きました。
フェルトが沢山積み重なれていてこれも温かさがある。
パリ発のアロマ系のお店です。
そして9月から始まってた田中一村展にやっと行けました。
2年前くらいから田中一村の展覧会が開かれる事を知りずっと憧れていたはずなのに9月にも10月にもどう言う訳か行けなくていました。何故か何かに邪魔されて行きたいのに行くに行けない事ってありませんか?それって私だけかな?
旅行から帰り風邪がなかなか治らず体調が回復せずに出足が鈍ってました。
しかしぼちぼち終わってしまう、終わったら奄美大島まで行かないと見る事が出来なくなる。
最終週は日時予約が必要になるので、慌ててきっちり予約して行って来ました。
お〜、憧れの一村さま。
美術館はすごい混雑です。
予約要と言いながら当日券も売っているのですから混雑必至です。
「アダンの海辺」
パイナップルの仲間のアダンと言う果実です。
実は、テレビの美術展紹介番組で見た時はこの浜辺の砂利や砂が手前から波打ち際に行くに連れて細かくなって行き、さらに小粒の砂利にところどころが雲母のようにキラキラ光っていたのですが、美術館で実物をそこまで確かめるのは無理でした。(美術品を保護するために薄暗くするのは分かるのですが。)最近のテレビの画像の精緻さや凄さを実感しました。
「不喰芋と蘇轍」クワズイモとソテツ
クワズイモは花が咲き、それが実になり、やがて朽ちるまでが描かれてます。
アンリ・ルソーの絵が思い出されました。
「枇榔樹の森」
今回300点程の作品が、絵画からスケッチや下書きまで、出展されていて一日ではとても見きれないと思いました。
多く収められている奄美大島の田中一村美術館に是非行かねばならないと思いましたが、個人蔵の絵画も沢山ありました。
田中一村は生きてる間にきちんとした評価をされなかった画家です。それでも奄美で働いてお金を貯め、今度は制作をし、また働いてと言う生活をしながら絵を描いていました。
一村の絵描きとしての人生は生前は報われなかったのか?本当にそうなのか?
一村は自分の絵画に誇りを持っていたに違いなく、自分の主義主張を貫いて生きた事に報われるとか、報われないとか、金銭的評価がなされなかった事は報われなかったのかなど考えさせられました。
オランダで見たゴッホの絵画の事もあり、ゴッホの人生とも重なって見えました。








