それは違う
それは違うと思いました。
お茶を習い始めて10年になりました。
東日本大震災の年に京都に住み始めました。その前年に夫が京都での仕事を開始していた所に犬二匹を連れて合流したのでした。
最初は遊びに行く時だけ京都に行けば良いと思っていたのですが震災を経験したら別れて住むのは良くない、家族は一緒に住まなければならないと。
息子は結婚して別に暮らしていましたし、娘はアメリカに渡り仕事をする予定になっていましたので私が東京にいなければならない理由もなくなっていました。
大学時代から長く京都に住む高校時代の友人に再会し茶道を一緒に習わないかと勧められて始めたのがその年の夏の事でした。
茶道が何たるかを全く知らなかった私はお点前が幾つもある事にも全くの無知で毎回ぼんやり習っていたようでした。
しかも娘の結婚や出産の度に長く休み、また東京に戻った娘の子供の世話に引っ張り出される始末でしたから平点前だけしか習わず、最初の許状だけ頂いたのでした。
3年半近い京都での暮らしでしたが充実していました。観光に何の不足はありませんし文化に満ち溢れていましたから。
着物の着付けを習いお茶のお稽古にも自分で着て行けるようになりました。
すると実家の母が自分はもう着ないからと続々と着物を送って来てくれたりしました。
東京に戻る事が決まり、茶道は東京でも続けようと探して見つけたのが今のお稽古場でした。
お弟子さん達も皆んな熱心で先生の教え方も見事なものでした。
その冬の初めにお歳暮をと先生に品物を送りました。築地にある店の佃煮で、塩辛過ぎず甘口で一番美味しい佃煮だと思っています。
ところがある日姉弟子さんに呼び止められお中元お歳暮は現金になさった?と言われました。最低お月謝分よ、とも。これは軽くカルチャーショックでした。お中元お歳暮などはこちらが気持ちを送るもので何を送ろうと送り手次第なのではないかと思っていましたから。
でも確かに二十人を越える弟子が全員品物を送っていたら大変な事になる事も想像つきましたが。
許状にこだわるつもりはなかったのですが7年の間に3回、お茶名まで頂きました。
京都で最初に頂いた許状の時は申請する費用の中に自分へのお礼も含まれていると先生が言われてましたが、東京では申請する費用と同額のお礼をお持ちするのが当たり前でした。
夫はねずみ講だなと言ってましたが確かに和の習い事はどこもそう言うものなのでしょう。
孫が習ってる空手も帯の審査があり審査料を払い新しい帯に代わります。しかも帯の色が二色使いで一体いくつまであるのかと?かねて疑問に思ってましたが。
この2月に私は手術があったのでひと月お稽古を休みました。お稽古に復活する時休んだ月のお月謝も一応持参したのですがこれはいいわよ、との言葉を期待していた私はやり方が甘かったのか?先生はすんなりと受けとられ私はショックを受けました。習ってないのにお月謝を?
この夏の緊急事態宣言と感染者が数千人に驚き私はお稽古を休む事にしました。
お稽古は引き続きあり、花月や茶壷の紐など高度なお稽古の予定でした。
しかし8月だけで済まず9月もデルタ株などの脅威から更に延長して買い物以外は外出や人との接近もしない日々を過ごしました。
同門の親しくしている方がやはり休まれていて来月からの復帰に際してお月謝についてお尋ねしたそうです。彼女は月3回を月2回にしたいのでお尋ねしたら2回も3回も金額は変わらないとの事で休んでる間のお月謝についてはスルーされたと。
つまりお月謝は頂きますと言う事ですよね、3か月持参しますと、言われてました。
私はそれは違うと思いますし、そのような感覚の世界にはもういるのは無理だなと思い始めています。先生に対して腫れ物に触るようでそれも理不尽だと思います。
現役でバリバリ働いていたらそれくらいの金額は投資みたいなもので済むかも知れないけど今の私はギブアップです。
まだ習いたい事は沢山あるのですが今が潮時と思いやめようと考えています。
私の考えは違いますか?誰か教えて下さい。