memory-2021のブログ

寄り道脱線系ブログです。

手術 その二

手術翌日は体調が良くありませんでした。

朝から微熱が続いていて頭痛がして朝から少し吐いてしまいました。

手術をした前日は朝から絶食でしたのでお腹の中は空っぽで吐くものはありません。

朝主治医が来て下さり飲み物が喉をきちんと通るかを見たいから飲んでと冷蔵庫の麦茶を勧められたのを飲みこれはOKだったのですが。

それからレントゲンを撮ると言うので看護師さんと一緒にレントゲン室に歩いて行きましたがその部屋の前でまた吐いてしまいました。

それからはベッドに横になって一日中寝たり起きたり。

お昼に流動食が出ました。全くのご飯の飲み物です。笑。それと細かく切られた豆腐のすまし汁。まずは胃に負担のかからない形からですかね。これは頂きました。

この日は朝や食前に測る血糖値が異様に高くインシュリンを打たれました。

290、321なんて言う数値です。

血糖値がこんなに高くなるのは経験からしてなかったので驚くばかりです。

かつて夫の仕事で京都に住んでいた時府立医大の口腔外科に入院して手術を受けた事がありました。裏顎に膿疱がありいずれ痛むと言われていて7、8年経ちやはり痛み始めました。

その時はまた血糖値が微かに高いので気をつけてくらいの予備軍に入るか否かくらいでしたが、しっかり糖尿病科の先生に見守られていた事をその先生の顔と共に思い出しました。

やはり糖尿病は身体全身につきまとう厄介な病気ですね。

私がお稽古を続けている茶道が総合芸術などと呼ばれてますが、敢えて言うなら糖尿病は総合病気?なんて言って座布団貰っても仕方ないです。泣。

改めて克服する気構えが出来ました。

それからの地震騒ぎでした。

アイスノンで冷やしながら寝たら翌日は熱も下がり気分は治りました。

食事も朝から食べる事が出来ましたが、食パンが2枚で70グラムの炭水化物にはびびりました。これで良いのか?ご飯の時も150グラムとか出されるのですが日頃そんな量を食べる事なく糖尿病のレッテル貼られてる私ですから頂くわけにはいかず必ず半分残してます。

手術翌日に血を採られたのですがその時に何が起こったのか後で見たら採血部分から手の甲まで細かく血が飛び散ったみたいなそばかすが出来てました。私は採血でいつも失敗されやすいです。泣。

おまけに手がしわしわで、高齢者ですから年のせいではあるのですが痩せたかと気になり体重計に乗りましたが50キロでした。

つまり身体を動かしてなく歩いてもいない日々だから痩せるまでにはいかないようです。

この後看護師さんにシャンプーをして貰いました。その後胸から下だけですがシャワーも浴びたのですが首にはまだドレインが付けてあり左手には点滴ですから右手だけで苦心惨憺のシャワーでした。

パジャマや下着タオルなどをまとめて大した量ではないのですが洗濯乾燥機を使いさっぱりしました。パジャマは3組しか持って来ていず、レンタルしたりクリーニングに出すつもりでいましたが主婦根性を発揮する時を見つけました。

これも体調が良くなってるからでしょう。と楽観的に考えてます。

入院中の出来事

昨夜の地震は怖かったです。

東京は震度4、病室は高層棟の10階で微妙な前揺れの段階からキシキシ言い始めたのでおやっと思ったら強いのが来ました。建物がギシギシ言って揺れてるのが分かります。更に高層階なら船酔いになるのではと思ったり、高層ビルは免震構造きちんとされてるはずよね、と思ったり。でも日本人は地震に慣れてるから必ず終わる筈と信じてるし、信じたい。

夫や娘から大丈夫?LINEが来たりしてお互い安否を確認しました。

次に私は郷里のいわきに住む妹にLINEしました。東日本大震災も経験した妹は怖くて足がガクガクしたそうですが大丈夫と。でも今朝になり隣に建っている今は空き家になってる義理の両親宅を覗いたら台所の散乱がひどく、ユニットバスが歪んでしまったと言ってました。

やはり東日本大震災の余震だとか。来月あの大震災以来10年になるのにまだ続いてるんですね。あの頃の話しは始めたらキリがないです。

もう二度と母や妹家族、弟家族とは会えなくなるのではと悩んだ事もありましたから。

地球のエネルギーの為せる技。

先日入院中にNHKスペシャルの「アインシュタイン 消えた天才脳を追え」を見ました。

1955年の死後密かに解剖されたがその病理学者に持ち去られたまま今どこに存在するのかわかってない。その病理学者も亡くなり、番組では新たに発見された手がかりを元に世界各地を、取材して切断された200に及ぶ、いや二百超えてたはず、脳片の持ち主に取材するものの確か90片くらいが行方不明になっているとありました。持っている事が負担になった科学者への取材もありました。

今の科学技術さらにこれからの科学技術を持ってしたら人類史上最高の脳の破片からでも何か出来そうな予感がします。それを悪用しようとする人も出てくるはずです。

二度と大地震など起こさないようにアインシュタインの脳に何とか考えてもらいたいと思いそれは良い利用だろうと思いましたが、違いますね。良い利用、悪しき利用に関係なく死者にはきちんと眠って貰いたいですね、やはり。

手術 その一

昨日甲状腺に出来た腫瘍の摘出手術を受けました。

2時間半くらいの手術でした。

手術室に入った時準備していたのが外科の先生だったようで実にテキパキと進めて下さり手際が良さそうと安心しました。

手術が終わり回復室に暫く居て病室に戻りましたがやはり嫌〜な感じは拭えない。手術はもうしたくないものです。

回復室は私が覚えている限りでは狭くて、隣のやはり手術を受けた人が看護師さんからの問いかけを受けてるのが聞こえました。麻酔からきちんと覚めて欲しいからでしょうね。

ほとんどぼ〜っとした状態で運ばれて途中来てくれていた夫の声がしました。無事終わったよと言われ、はい、ありがとうと言った覚えが。後は朦朧。勿論夫は病室に来れずそのまま帰りました。

ひたすら寝た気がしましたが看護師さんが何回か来て処置をしてくれたのはその都度気付きましたが、ふと時間が気になり尋ねたら夜の11時でした。

手術室に入る前にお小水を済ませて以来してないので看護師さんが心配してくれて尿瓶を持って来てくれましたが、寝たままでは出ないものですね。苦労しました。朝になれば起きて歩いてもらうからその時はトイレでと言われ何とありがたいことかと思いました。

心電図に、傷口からのドレインに、酸素濃度測る指先につけるやつなど身動き取れません。おまけに首の傷口に触らないように頭を上げ下げには気をつけてと言われ寝返りや起き上がるのも厳しそう。

そんな風にこの日は更けていきました。

血糖値は高く200超えでインシュリン注射されました。ショック。