喧嘩をやめて梅一輪
梅一輪、一輪ほどの温かさ。
購読の会でシモーヌ・ボーヴォアールの第二の性を少しだけ読んだ。何を今更?なのだがしみじみ読んでしまった。
その事についてのリアクションペーパーを書かねばならないので悩んでる。
お正月の元旦に、俺の言う事に何故いちいち反対するんだ、俺の言う事を聞けと言うワンマンな事を言う人にムッとした私との間で火花が飛び散った。元旦に騒ぐ事に呆れたが、ほんとにいい歳をしてのダンマリ戦術が一週間続いた。この多様性の時代に意見の多様性を認めない人とはこれからも火花は散るに違いなく、ボーヴォアール以前の昭和の家父長的な考えでは折り合いもつきにくいとしみじみ思った。が、さほど長くもないこの人生、何とか折り合いをつけてやっていくしかない訳でもある。
そんな事をしていて松が取れた日に川崎に住む従姉妹の一人娘から従姉妹が入院してると電話が来た。その翌々日に急ぎお見舞いに行ったが、彼女はもう意識はなく酸素マスクを装着していても苦しげに呼吸していた。すっかり浮腫んでしまった手をさすりながら呼びかけたら奇跡的に眼を開けてくれたのでまだ大丈夫と帰ったが、翌日亡くなったとの連絡があった。
八人兄妹の末っ子だった母とその二番目のお姉さんの娘だった従姉妹とが六才違いだとお通夜の際にわかった。
私とは従姉妹たちよりもその子供たちとの方が年が近い。
家族葬の葬儀は義理で来る人は誰もいない、しかも喪主は従姉妹の一人娘がなり、その夫とその親は控えめに脇にいて、従姉妹の孫の方が優先的だった。優先と言う感覚も喪主にはなかったと思う。
お通夜に先立って納棺の儀があり、そこには血縁のある者だけで身体を清めたり、飾ったりして従姉妹との最後の触れ合いをした。皆んなの心がひとつになりとても良かった。
普段なら私も御香典には夫の名前を書いていたが、今回何げなく私の名前を書いたのは私の中では自然だった。
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新春の寄席、鈴本に行き、
古典落語文菊の「高砂」一之輔の「薮入り」を聞いた。
まだそれほど寄席の場数を踏んでるわけでは無いので古典落語を聞くのが楽しい。
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山登りが好きでイラストの素敵なブロガーさんがブログを休止されてる。
誹謗中傷を浴びたんですね。
似たような事が数年前に私にも起こった。
ママ友みたいな存在の人と一時親しくしていた後疎遠になりそのままにしていたところ、ある時急に手紙や電話、メールで私が借りた物を返さないのは何事だ、返せと言い募って来た。お金は貸したはずだ、宝石は勝手に持ち去ったと言われ、全く身に覚えがない事ばかり。
どう考えても彼女は気が触れたとしか言いようがなかった。彼女の夫や息子さんなど勤務先など聞いて知ってるので会いに行き話してみようかとも思ったが、それはまだ先の事。
夫に経緯を話して、姪の連れ合いの弁護士に相談して指示通りにしていたら、コロナ禍になり騒ぎは収まったかに思える。
友だちだと思っていたけど、友だちって何だろうと今も思い出すと悲しくなる。
こんな私の話しなど何の役にも立たないかも知れないけど、〇〇〇〇♪さん、早く戻ってね。💓
石蕗は逞ましく咲き続けてる。私も頑張る。


