memory-2021のブログ

寄り道脱線系ブログです。

インド洋を望んで バリ島にて その四

ジャカルタに二泊してからバリ島に移りました。

ジャカルタのあるジャワ島には仏教遺跡ボロブドゥールや仏教とヒンドゥ教のコンプレックス遺跡のプランバナンなどがあるのですが、諸般の事情により(?)スルーされてしまい真っ直ぐバリ島に向かいました。

バリ島のジンバラン地区にあるアヤナリゾートです。

ヴィラと三つのホテルがある大きなリゾート施設です。

私たちはその中のアパート形式のレジデンスに泊まりました。いわゆるAirBnBなんですが200平米超えのコンドミニアムで勿論ホテルより安価です。

寝室が二つあり、キングサイズのベッドのある部屋は夫が、下の少しこじんまりしたベッドの部屋は私が使いました。どんなに広いベッドでも端っこにしか寝れない小心者なんですけどね。

しかしながら家庭内別居は中々良いもんです。笑。


翌日はウルワツ寺院に行きました。

寺院自体は観光客は中を見る事が出来ないのですが、バリ島の南西端に位置して海を望む絶景が素晴らしくバリの東尋坊かと⁉️

バリの海岸稜線は美しい🤩

この海原の向こうはインド洋です。

この寺院の敷地には猿が多く生息しており観光客のサングラスやペットボトルを奪ってこれみよがしに見せびらかしています。取り返そうとすると凄い形相で威嚇され怖いです。

猿が獲った物と猿の好きな果物と交換してもらいたいのだとか。

さすが猿知恵が働きます。

猿と観光客を繋ぐ世話役のような人がいました。うまく猿のご機嫌を取り分捕り物を返してもらいますが世話役がいないと粉々にされてしまいます。


私たちは夕方になるのを待ち、ウルワツ寺院名物ケチャダンスを見ました。満席、三千人ほどか?

踊り手は、地元の人たちも入り構成されてるそうです。

バリではKを発音しないのでチャチャチャと男声合唱しながら踊ります。勢いがあり壮観です。

ラーマーヤナの物語りを舞踏化したものです。

夕方から始まり日没を眺めながら松明を焚き、また、火渡りのシーンもあり、満席の客席に扮装の白猿が飛び込んだりしながら盛り上がって行きます。


夜にレジデンスに帰ると闇の中かなり強烈な香りが満ち満ちていました。

植物の香りだろうと思いながら見渡してもわからず、翌日に持ち越す懸案事項になりました。

ちなみにレジデンスの庭先にはこのような花々が咲いていました。がこれらの香りではなかったのです。


春うらら

旅行から帰って一週間、時差が二時間しかなかったので(ジャカルタとバリは一時間ありましたが)疲れも軽く、私は翌々日には私懸案の白内障の術前検査に行きました。この話しとバリ島での事は別途書くつもりですので懲りずに読んでやってください。😉


さて今年は桜を見る最盛期を逃した感がある私たちなので、歩きも兼ねて新宿御苑まで行ってみました。

やはり八重桜とツツジとが咲き誇ってました。春うらら。

インバウンドの方々が多くて、まあ、円安でいいですこと!とつい僻みっぽくなりながら。💦

御苑には入園料にシニア料金があるんです。

250円です。😘

これはツツジですね。

サツキとはまず時期が違いますよね。

いつも通る道沿いに藤の花が咲き揃ってるのを見ていたので出掛けたついでに藤棚のある旧浜離宮庭園に寄ってみましたが、残念早過ぎ、まだまだ先のようです。


やはり八重桜が重たげに咲いてます。


これは牡丹ですよね?葉の形がまず違うと思ってましたが。

ツツジとサツキ同様に牡丹と芍薬の違いもいつまでも覚えきれてない凡庸な私でした。💦

艶やかです。

西洋に薔薇があり、東洋に牡丹あり!かと思います。

この四月に六年生になった娘のところの長男ですが、娘は毎朝その子の登校時に玄関で次男と一緒に出掛けるのを見送る写真を私たちとお婿さんの実家との合同LINEに送って来るのが日課になっています。このところさっぱり送られて来ないので聞いてみたら、六年生児は娘が時間だわと気付くともう既に登校してしまってる日が続いてると嘆いてました。

何でも彼は新入学したばかりの一年生の世話係になりいつもより三十分早く登校せねばならないそうで、彼なりに張り切ってると聞きました。

あの子が世話係とはと私は驚いたのですが、実はやはり安堵したのが本音です。

と言うのも、緊張しいの長男君は小学校にの入学式のその翌日からずっとひとりで登校出来ない、ついて来てと親に頼み手を繋いで登下校していたのです。

身体が大きく入学した時に既に二、三年生に見えた子が手を繋いでと手を伸ばして来るのですから。

娘が都合つかない時は当然私に声がかかり、朝の8時から駆けつけて送ったりまたお迎えに学校まで行ってましたし、それが二年生くらいまで続いていたと思います。

いつかは手が離れると思いながらも(本当にそうなるのかと心配してました)こんなに幼稚で良いのかと悩んだり、それも個性かと考え直したりでした。

低学年児は登校はまだしも下校は同じ方面の子たちがグループになって帰るのですが、私が迎えに行ってると、S君は何でひとりで帰れないの?など同級生の女の子に言われたりして孫は思わず言い返したりしていた事も今となっては懐かしい思い出になっています。

いつだったのか、今日ひとりで行ったと娘から聞いた時は本当に胸を撫で下ろしました。やはりその時は来るんですね。😻

自分がひとりで登校出来なかった事を覚えていて今の一年生に心配ないよと言ってあげたり、私たちには見せないような姿で甲斐甲斐しくお世話をしてるのかと思うと笑いがこぼれます。ばあばの独り言でした。💦


さて今月も茶の道に精進しています。笑。

全くの紫の色無地、家紋は実家の違い鷹の羽です。

藤の花を連想して紫にしたのですが、この日は暑かったです。しかも炉の側などでは汗をかきました。

帯はその昔京都のお家元の庵見学に行った時に寺町通りの骨董品屋さんで買いましたが、締めたら何故か締め難い帯で、以前にもしくじった記憶があります。

しかしながら着物って何回着ても何故同じ様に着れないものかといつめた思います。💦

さて今日も精進の日、これから研究会に行って来ます。💨

ジャカルタ二日目旅日記 その三

テキスタイル博物館の次にコタ地区のファタヒラ広場に行きました。コロニアル建築物に囲まれた広場です。

ジャカルタ歴史博物館です。

大砲が置いてあり独立戦争を思い出させる展示物となっています。

絵画陶磁器博物館の中庭の寄生植物です。

調べたらビカクシダと言う着生植物で羽を広げた蝙蝠のように見えることからコウモリランとも言われるそうですが、私には鹿の角のように見えていて垂涎の熱帯植物です。展示品の少ないこの博物館よりもこちらに興味津々の私でした。💦

ラマダンの最中で朝と夕方読経のような説教のような声が街中に流れていてついそそられて三万人収容すると言うモスクに行こうとしたのですが(祈りの最中ゆえ実際入れるかどうかわからなかった)時間がなく(例のカオス渋滞のせいで)歴史博物館も見る事は出来ませんでした。

ヨーロッパにはこのような建築物に囲まれた広場がありますが、このファタヒラ広場もやはりオランダ植民地時代の名残りでしょうか。

カフェバタビアはジャカルタで一二を争い人気カフェだそうで、白人も日本人をも多くお見受けしました。

ちなみにバタビアとは東インド会社時代にジャカルタが改名された名前だそうです。

壁には沢山の俳優や有名人の写真が飾ってありノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。

窓から広場が望めます。

食事の後ケーキを頂きました。

マンゴーのケーキとオペラ。

テーブルクロスがまた素敵なテキスタイルです。


ジャカルタ市内ともそろそろお別れですが、夫が君の住まいを見に行きたいとH君に言い出しました。

案内されたのは市内を見渡せる素敵なタワマンでした。

屋上にはインフィニティプールがありました。


さて参考までに、インドネシアの通貨ルピーです。

日本円に換算するには、ゼロ二つ取り除き(日本出発前は)掛ける0.8や0.9が正確でしたが円がどんどん安くなってるのでそのままゼロを二つ取っただけで良さそうです。💦


ジャカルタで食べた食事記録です。

Tongsengと言うカレーソースで煮込んだ肉料理です。

赤いソースがサンバルソースです。

細長いお米とおかず(笑)にサンバルソースを少しすくって混ぜて頂くと言う食べ方が気に入りました。

アルコールは高いので、インドネシア産のビンタンビールは軽くて安価で毎食事頂いてました。

これはナシゴレンです。これにもサンバルソースを混ぜて頂きます。