memory-2021のブログ

寄り道脱線系ブログです。

ジャカルタ二日目旅日記 その三

テキスタイル博物館の次にコタ地区のファタヒラ広場に行きました。コロニアル建築物に囲まれた広場です。

ジャカルタ歴史博物館です。

大砲が置いてあり独立戦争を思い出させる展示物となっています。

絵画陶磁器博物館の中庭の寄生植物です。

調べたらビカクシダと言う着生植物で羽を広げた蝙蝠のように見えることからコウモリランとも言われるそうですが、私には鹿の角のように見えていて垂涎の熱帯植物です。展示品の少ないこの博物館よりもこちらに興味津々の私でした。💦

ラマダンの最中で朝と夕方読経のような説教のような声が街中に流れていてついそそられて三万人収容すると言うモスクに行こうとしたのですが(祈りの最中ゆえ実際入れるかどうかわからなかった)時間がなく(例のカオス渋滞のせいで)歴史博物館も見る事は出来ませんでした。

ヨーロッパにはこのような建築物に囲まれた広場がありますが、このファタヒラ広場もやはりオランダ植民地時代の名残りでしょうか。

カフェバタビアはジャカルタで一二を争い人気カフェだそうで、白人も日本人をも多くお見受けしました。

ちなみにバタビアとは東インド会社時代にジャカルタが改名された名前だそうです。

壁には沢山の俳優や有名人の写真が飾ってありノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。

窓から広場が望めます。

食事の後ケーキを頂きました。

マンゴーのケーキとオペラ。

テーブルクロスがまた素敵なテキスタイルです。


ジャカルタ市内ともそろそろお別れですが、夫が君の住まいを見に行きたいとH君に言い出しました。

案内されたのは市内を見渡せる素敵なタワマンでした。

屋上にはインフィニティプールがありました。


さて参考までに、インドネシアの通貨ルピーです。

日本円に換算するには、ゼロ二つ取り除き(日本出発前は)掛ける0.8や0.9が正確でしたが円がどんどん安くなってるのでそのままゼロを二つ取っただけで良さそうです。💦


ジャカルタで食べた食事記録です。

Tongsengと言うカレーソースで煮込んだ肉料理です。

赤いソースがサンバルソースです。

細長いお米とおかず(笑)にサンバルソースを少しすくって混ぜて頂くと言う食べ方が気に入りました。

アルコールは高いので、インドネシア産のビンタンビールは軽くて安価で毎食事頂いてました。

これはナシゴレンです。これにもサンバルソースを混ぜて頂きます。

カオスの街から旅日記 その二

カオスのような渋滞を経験した翌日ジャカルタでの一日をまたH君が案内してくれました。

国立博物館でジャワ原人(レプリカ)を見たかったのでリクエストを出しておいたのですが、残念ながら閉館日でした。あのピテカントロプスエレクトスは子供の頃習って今でもそらんじてますのに残念。

もっとも本体は発見したオランダ人により本国に持ち帰られてるのでオランダに行けば見る事は出来そうですね。

その後更に古い原人がアフリカで発見されてますから今となっては最古ではないのですが、私たちの時代には最古と習ったのでした。

しかしながらその国で発見されたものは誰が発掘しようとその国の物ではないのかと、それでは植民地時代の力関係そのままではないかと私は今新たに疑問に思いました。

植民地時代に同じ様に本国に持ち帰られたり、ナチスによって掠奪なのか強奪なのか奪われた美術品を元来の持ち主に返せと言う声が世界中で上がってるようですね。

それは当然の事だと思います。

私のリクエストで繊維博物館に行きました。

インドネシアの織物イカット織を見たかったからです。

この織物を着物の帯にする手もあるんですよね。

素敵だろうなあ。😍

今回この博物館のメインとしてろうけつ染の作品が沢山展示されてました。日本人女性が作られたのです。

日本人のご婦人の名前はEIKOさんとあり彼女のろうけつ染の作品の展示で全て埋め尽くされてました。

細かな芸術性の高い作品ばかりで、こちらの方と結婚され長年ろうけつ染をされてたとの事を聞きました。

この博物館に入館してすぐにひとりの女性の方が見学されていたのに気付いたのですが、何と彼女とH君がジャカルタ市内の日本人コミュニティでの知り合いだったのです。

彼女はろうけつ染をする為にこの博物館に来てたそうで知識豊富な彼女からその手法の事や前述のEIKOさんの事など話しが聞け、展示品はインドネシア語でしか表記されてないのでとても助かりました。

博物館の庭に咲いていたプルメリアです。

プルメリアは至る所に咲いてます。赤、白、黄色、大好きな花です。

蘭の花はこの様に木に着生して咲くものもあるそうです。こんな風に自生するって何だか楽しいですね。


さて博物館を出て向かった先はとあるモールでした。

イスラム教の人のヘジャブや衣装が沢山売られてました。🧕私の目的は生地です。バティックが欲しかったのですが、普段それとは思われずしかしバティックのテイストもある生地を探しました。

どちらも素敵でしょう⁉️💓

ムスリムの人たちのおしゃれしたい気持ちが分かるお店が沢山ありました。ヘジャブの中は髪飾りやアクセサリーなどで飾ってるんですね。やはり女は女です。

次にコーヒーを買う為に市場に連れて行ってもらいました。

とても賑わってます。

H君はこの店が一番美味しいと言います。

客の好みを聞いて挽いたりパッキングしたり、アラビカ種のコーヒーの香りに満ちていました。

H君が私の注文を頼んでくれています。

ジャコウ猫のコピルアクを豆と挽いたものと、他にはトラジャコーヒーのペーパーフィルター用とそのままお湯を淹れてコーヒーの上澄みを飲むタイプと買いました。

インドネシアのコーヒーの虜になりそうです。

喜ぶ私に比べて今回の旅行で非常に気の毒だったのが夫です。

イスラムの国ではアルコールは御法度ですから、外国人向けにホテルやレストランにはアルコール類が置いてあるにしてもアルコール文化が発達してないので大したものは置かれてなく、しかもとても高くて夫はがっかりしていました。


市場の野菜たち。

普通のモールと普通の市場に現地の暮らしが垣間見る事が出来るのも旅の楽しみなんです。続きます。

桜を惜しみながらの旅日記 その一

昼前に飛び立った飛行機は夕方にはジャカルタに着きました。日本との時差が二時間ある為です。

出発前にインターネットでのビザの申請に失敗していたので空港で現金払いで取得しました。💦

ビザ申請のsubmitを押して失敗するとお金だけ取られて書類は不備で現地に着いてから再度徴収されると聞いていたのであっさり諦めました。💦一人約五千円でした。

今回はマイレージをふんだんに使いANAの提携航空会社ガルーダインドネシア航空に乗りました。元々七時間のフライトなのですが、虚弱な人がいる高齢夫婦のこれが最後から二番目の旅行だと言います。

機内食には少しがっかりしましたが、バティックの巻きスカートに、髪の毛をキリリと夜会巻きにしたCAさんはテキパキと素敵でした。

空港にはH君が迎えに来てくれて彼の運転手付きの車で(偉いからではなく会社から現地での車の運転は禁止されてるそうで)まずはホテルに向かいましたが、ジャカルタ市内は車のナンバープレート末尾が偶数か奇数によって道路を優先的に通る事が決められてる為我々は迂回したり裏道を通らねばならず30キロ位の距離が一時間以上かかりました。しかもラマダン(3月11日から4月10日までのイスラム教徒の断食)のため日没が過ぎた時間に一斉に行動し始めたムスリムの人達で道は車やバイクで満ち溢れ大渋滞を引き起こしていてもの凄い喧騒でした。ちなみに車もバイクも九割が日本車です。

この渋滞に慣れないとこの地では暮らしていけないとはH君の言葉でした。

二人乗り、三人乗り、運転手の前に子供一人、後部席の間にもう一人子供が乗るのは当たり前、しかもヘルメット無しでガンガン攻めた運転をします。

車間距離を空けると横入りされてしまうのでギリギリの密着運転、よく事故起こさないなと思いましたが、やはり事故は当然起こるそうです。

この喧騒には昭和三、四十年代の経済が右肩上がりの日本を思ったのでした。これからこの国も中国やインドのように発展していくのだろうかと、モスリムの人たちの穏やかな顔を見る度に思いました。


ちなみにラマダンとは、イスラム教徒の義務のひとつで、ラマダン期間の約1ヶ月間、日の出から日の入りまでの時間飲食を断ちます。 また、飲食だけでなく、悪口、嘘、揉め事、欲望、性行為も断ち、ラマダン期間中は普段以上に良い振る舞いをすることが推奨されているそうです。水も飲んではならないそうで、H君に運転手さんの前で水を飲むのは控えてくれと言われました。

 

ホテルの部屋の引き出しにはコーランがありました。

内容的には聖書も般若心経もつまるところは同じ精神性なんだろうと思いますが。

ラマダン明けの為のスイーツギフトが売られてました。

H君はインドネシア語は世界一簡単な言語なのでと言ういます。運転手さんやお店の人とも全て会話出来、仕事で使う英語、学生時代専攻のフランス語に加えてインドネシア語とトライリンガルは頼もしく夫の自慢のH君でした。

ホテルはホテルインドネシアケンピンスキーでした。

昨年天皇陛下ご夫妻もお泊まりになられた、元々日本が戦後賠償の為に建てたホテルだそうで、先の戦争における日本の東南アジアでの戦争責任を考えさせられました。