桜を惜しみながらの旅日記 その一
昼前に飛び立った飛行機は夕方にはジャカルタに着きました。日本との時差が二時間ある為です。
出発前にインターネットでのビザの申請に失敗していたので空港で現金払いで取得しました。💦
ビザ申請のsubmitを押して失敗するとお金だけ取られて書類は不備で現地に着いてから再度徴収されると聞いていたのであっさり諦めました。💦一人約五千円でした。
今回はマイレージをふんだんに使いANAの提携航空会社ガルーダインドネシア航空に乗りました。元々七時間のフライトなのですが、虚弱な人がいる高齢夫婦のこれが最後から二番目の旅行だと言います。
機内食には少しがっかりしましたが、バティックの巻きスカートに、髪の毛をキリリと夜会巻きにしたCAさんはテキパキと素敵でした。
空港にはH君が迎えに来てくれて彼の運転手付きの車で(偉いからではなく会社から現地での車の運転は禁止されてるそうで)まずはホテルに向かいましたが、ジャカルタ市内は車のナンバープレート末尾が偶数か奇数によって道路を優先的に通る事が決められてる為我々は迂回したり裏道を通らねばならず30キロ位の距離が一時間以上かかりました。しかもラマダン(3月11日から4月10日までのイスラム教徒の断食)のため日没が過ぎた時間に一斉に行動し始めたムスリムの人達で道は車やバイクで満ち溢れ大渋滞を引き起こしていてもの凄い喧騒でした。ちなみに車もバイクも九割が日本車です。
この渋滞に慣れないとこの地では暮らしていけないとはH君の言葉でした。
二人乗り、三人乗り、運転手の前に子供一人、後部席の間にもう一人子供が乗るのは当たり前、しかもヘルメット無しでガンガン攻めた運転をします。
車間距離を空けると横入りされてしまうのでギリギリの密着運転、よく事故起こさないなと思いましたが、やはり事故は当然起こるそうです。
この喧騒には昭和三、四十年代の経済が右肩上がりの日本を思ったのでした。これからこの国も中国やインドのように発展していくのだろうかと、モスリムの人たちの穏やかな顔を見る度に思いました。
ちなみにラマダンとは、イスラム教徒の義務のひとつで、ラマダン期間の約1ヶ月間、日の出から日の入りまでの時間飲食を断ちます。 また、飲食だけでなく、悪口、嘘、揉め事、欲望、性行為も断ち、ラマダン期間中は普段以上に良い振る舞いをすることが推奨されているそうです。水も飲んではならないそうで、H君に運転手さんの前で水を飲むのは控えてくれと言われました。
ホテルの部屋の引き出しにはコーランがありました。
内容的には聖書も般若心経もつまるところは同じ精神性なんだろうと思いますが。
ラマダン明けの為のスイーツギフトが売られてました。
H君はインドネシア語は世界一簡単な言語なのでと言ういます。運転手さんやお店の人とも全て会話出来、仕事で使う英語、学生時代専攻のフランス語に加えてインドネシア語とトライリンガルは頼もしく夫の自慢のH君でした。
ホテルはホテルインドネシアケンピンスキーでした。
昨年天皇陛下ご夫妻もお泊まりになられた、元々日本が戦後賠償の為に建てたホテルだそうで、先の戦争における日本の東南アジアでの戦争責任を考えさせられました。