memory-2021のブログ

寄り道脱線系ブログです。

私の嬉しい幸せな瞬間

春近しなのか?三寒四温みたいな陽気が続いてます。

昨年末に素敵なダウンコートを買ってしまったのだけれどこんなに暖かい冬で着る機会がないのです。💦

ヒヤシンスが咲き始めました。あんなに固そうだった蕾が綻んでて春の力って凄いって思う。


娘の家に行った時ポケットに入れてたスマホが鳴り電話が掛かって来て、音量を小さくしてたので自分で気付くより先に娘に鳴ってるよと言われました。

これが実は私の幸せな瞬間なんです。

と言うのは娘は一才四ヶ月の時に髄膜炎にかかりました。高熱が続いて熱冷ましをあげても戻したり効かない異常さに再度お医者さんに行き診てもらうと、今から病院に行って来れ、僕も行くから、あなたの夫にも行くように電話するから病院で会いましょうと言われました。

当時夫の転勤で住んでたアメリカのニューヨーク州の田舎町での事です。

日本と違い治療手術などの為の設備や看護師などは病院にあると言うシステムをその時に知りました。

アメリカの合理的なやり方は医師の説明にも表れていて、治療を始める時に誓約書にサインさせられたのですが(脊髄に薬を投与する為に)同時に水頭症、てんかん、聴力など高い確率で後遺症が残ると言われたのです。また後遺症を検査してくれる所があるからそこに行くようにとも言われ退院したものでした。

髄膜炎に罹患する前の娘は元気に歩いてたのですが退院した時には歩けなくなっていてまた長い事微熱は続きました。

娘がニ才位の時にそのリハビリセンターで検査を受けたのですが、幼な過ぎて本人の反応が読めずでそれ以降親に経過観察が委ねられました。

不安を感じたらすぐまた検査してもらうつもりでいましたが、帰国後も幸いな事に娘は全て順調に生育し続ける事が出来ました。

全く検査する事なく成長した娘ですが、聴力の心配は長い事私の中には潜んでいて、音が大きいとかうるさいとか音に反応する娘を見る度にに私は幸せを感じているのです。

ちなみに帰国して暫くして分かった事で、髄膜炎はおたふく風邪の予防接種の副作用だか後遺症だと新聞で読んだのですが今の時代は予防接種も改善されてるのでしょうね。不惑も過ぎた娘の遠い昔の話しでした。

病名を聞いた時に全く理解できず、医師が書いてくれた説明の書き付けが残ってました。

シュワルツ先生はドイツ系の名前の朴訥な良い先生でした。



小5の孫がラザニア好きなので時々作ってあげるのですが、私が作るのはミートソースとホワイトソースをラザニアの皮に交互に挟むやり方です。

ところが私が気に入ってたまに食べに行くこの店のラザニアはちょっと違う。ミートソースとホワイトソースが混ざり合って濃厚なソースに仕上がって焼き上がってます。こんな風に作ってみたいものだわ。

小さなお店で隣の人と袖触れ合う狭さですがパリの下町のビストロみたいで(ホンマか?)それもまた楽しい。

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