100年間開かなかった扉
この頃の毎朝の楽しみはやっと咲き始めた朝顔を見つける事です。
もっと早い時期から咲かせたいです。
春に早く種まきしたはずが今にならないと咲かない。朝顔市はやはり温室管理なのか?
遅れ馳せですが、今夏の高校野球が終わりました。
あの暑い中の熱戦、球児たちの甲子園の土に塗れたユニフォーム、キーンと響く金属音への喪失感があります。
今回更に響いたのがブラスバンドの応援で、なかでもドブォルザークの新世界の曲は壮大で感激しました。
そして仙台育英の監督のインタビューでの言葉は胸に迫りました。
100年間開かなかった扉が開いたと。
深紅の優勝旗が漸く白河の関を越えたのですから。
その意味でも聖光学院は惜しかった。聖光学院なら白河の関のみならず勿来の関も越えたかも知れずでしたが。
仙台育英の監督はまた満塁本塁打を打った選手が戻った時に彼をしっかり抱きしめたシーンも素敵でしたし、下関国際や大阪桐蔭をリスペクトしながらもコロナ禍での日々や今の高校生たちへの思いまでも言われていて胸に迫るものがありました。
東日本大震災からも11年経ち震災とコロナにリベンジでしたね。
優秀な投手陣とその采配も素晴らしかったです。140キロ超えを投げる選手が5人いると。
今回かつて甲子園の決勝で負けた東北勢投手のシーンがニュースでも流れたりしましたが、継投なんてなく一人で投げていた事に改めてびっくりです。三沢高校の太田投手は決勝戦で引き分けで翌日も、つまり2日間投げ通した訳で過酷なる昭和野球史ですね。
※訂正です。継投がなかったのではなく投げれる投手が一人しかいなかったと。